嘘をつく前に、人はまず自分を騙す
哲学者が自らの不誠実な行動を振り返り、アリストテレスの徳倫理学を通じて「真実を語ること」が人間関係の根幹である理由を問い直す。嘘と自己欺瞞の心理とは。
「小さな嘘は、いつも自分への言い訳から始まる。」
これはある哲学者の告白です。アリストテレスの徳倫理学を大学で教えながら、彼女自身は同時期に、自分が講義していた「誠実さ」からもっとも遠い場所にいました。
哲学者が語る、自分自身の不誠実さ
ケイトリン(仮名)は、約10年にわたって交際していた恋人のタイラーと、ついに結婚を決意しました。彼女はフロリダの大学で哲学の常勤職を得て、タイラーも現地でビジネスを始める予定でした。新しい生活の始まりのはずでした。
しかし引っ越し後、タイラーはカナダへ季節労働に出発。婚約指輪は引き出しの中に眠ったまま、3ヶ月間、二人は一度も会うことができませんでした。
新しい土地で一人になった彼女は、サーフィン、エクササイズ、そしてダンスに没頭していきます。フロリダのダンス文化は刺激的で、レッスン、パーティー、フェスティバルが次々と彼女を引き込んでいきました。あるダンスクラブでは、見知らぬ女性から「あなたたち、本当に素敵なカップルね」と声をかけられます。彼女は少し気になりながらも、「たいしたことではない」と自分に言い聞かせました。
そしてその夜のことを、タイラーには話しませんでした。
省略は、やがて積み重なっていきました。
別の男性に会うために2時間の運転をし、深夜2時に帰宅する。タイラーと共有していた位置情報を「彼も私の位置を知らないのだから」という理由でオフにする。そのたびに、小さな「自分への許可」が積み重なっていきました。
アリストテレスが見抜いていた「悪徳の構造」
アリストテレスは、誠実さとは「誇張」と「過小表現」の間にある徳の中庸であると述べています。そして徳は習慣によってのみ身につく——正しい行いを繰り返すことで正義の人になり、真実を語り続けることで誠実な人になる。
逆もまた然りです。悪徳は「小さな自己許可と自己欺瞞の連鎖」から生まれます。一度嘘をつくたびに、私たちは不正直という悪徳に一歩近づく。
皮肉なのは、彼女がまさにその時期、アリストテレスの徳倫理学を学部生に講義していたことです。道徳的品性について語りながら、自分の行動との距離を測ることをしませんでした。
彼女が指摘するもう一つの重要な点は、「真実の語り方」におけるタイミングの問題です。大学院時代から、彼女には一つのパターンがありました——男性の友人と過ごした出来事をリアルタイムでは伝えず、友人関係が自然消滅した後にようやく打ち明けるというものです。「最終的には話した」と自分に言い聞かせながら。
しかしアリストテレスは言います。「遅れた真実は、嘘と同じ機能を果たすことがある」と。誠実な人は、適切なタイミングで真実を伝えることを重んじます。
「残酷な正直さ」が愛の証になるとき
一方、タイラーという人物は対照的な存在として描かれています。交際初期、彼は「自分は一人でいる時間が必要で、それはあなたも例外ではない」とはっきり告げました。また、彼女が肥満の状態で妊娠の冗談を言った時、「子どもを持つ前に体重を落とす必要がある」と率直に言いました。
彼女は当時、それを傷つく言葉として受け取り、タイラーを恨みました。しかし後に気づきます——その怒りの矛先が間違っていたことに。
アリストテレスによれば、真実を聞いて傷つくとき、それはしばしば「自分の中に修復すべき何かがある」というサインです。真実が関係を壊すなら、その関係はもともと省略や半真実の上に建てられた「砂上の楼閣」だったのかもしれません。
タイラーがカナダから戻り、二人が再会したとき、彼女はすべてを打ち明けました。深い羞恥心とともに。しかしそれは同時に、二人の関係を再構築するための唯一の出発点でもありました。
数ヶ月の関係修復を経て、二人はついに婚約し、結婚しました。「誠実さ」を明示的な基盤として築いた関係は、以前よりもはるかに強固なものになったと彼女は語ります。
日本社会と「本音・建前」の文化的文脈
この話を日本の文脈で読むとき、一つの問いが浮かびます。日本には「本音」と「建前」という、二層構造のコミュニケーション文化が根付いています。社会的調和を保つための「建前」は、時に必要な潤滑油として機能します。しかし、それは親密な関係においても有効なのでしょうか。
日本の恋愛や夫婦関係の研究では、「察する文化」——言葉にしなくても相手が理解してくれることを期待する傾向——が、時として誤解や不満の蓄積につながることが指摘されています。言わなかったことは「嘘ではない」という感覚は、アリストテレスが警告した「省略による自己欺瞞」と構造的に似ているかもしれません。
また、#KuToo運動や職場でのハラスメント問題が社会的議論を呼ぶ現代の日本において、「言いにくい真実をどう語るか」という問いは、個人の関係性を超えた社会的テーマでもあります。組織の中で、家族の中で、友人関係の中で——「適切なタイミングで真実を語ること」の難しさは、日本社会においても普遍的な課題です。
記者
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