戦争を「政治的保険」に使う男
イスラエルのネタニヤフ首相は、イランとの多正面戦争を国内政治の延命に利用しようとしている。汚職裁判の免除、超正統派兵役免除問題、早期選挙の思惑——戦時下の政治的賭けは成功するのか。
戦争は、ある政治家にとって「最大の危機」であり、同時に「最大のチャンス」でもある。
ベンヤミン・ネタニヤフ首相は今、その逆説を最大限に活用しようとしています。イスラエルがイランとその代理勢力との多正面戦争に突入する中、首相は国家的な存亡の危機を、個人的な政治的延命の道具として使おうとしているのです。
三つの「賭け」が同時進行している
現在、ネタニヤフ氏は三つの政治的賭けを同時に進めています。
一つ目は、2020年から続く汚職裁判の回避です。収賄、詐欺、背任の罪で起訴されている首相は、イツハク・ヘルツォグ大統領に恩赦を求め続けてきました。そこに先週、意外な援護射撃が届きました。ドナルド・トランプ米大統領が「ビビ(ネタニヤフの愛称)の頭にはイランとの戦いのことしかあってほしくない。毎日彼と話しているが、くだらない裁判のことではなく、戦争に集中してほしい」とAxiosに語り、裁判を続けるヘルツォグ大統領を「恥」と呼んだのです。しかし、ヘルツォグ大統領の兄で元駐米大使のミハエル・ヘルツォグ氏はこう反論しました。「脅しや外部からの圧力が大統領を法の適正な執行から逸脱させると思っているなら、関係者のことも、自分が何を言っているのかも、まったくわかっていない」。イスラエル法務省も先週、恩赦の要件を満たしていないとの見解をまとめたと伝えられています。
二つ目は、連立政権の維持です。法律上、今月末までに予算を成立させなければ、強制的に早期選挙が実施されます。連立を支える超正統派(ハレディ)政党は連立の64議席中18議席を占めており、彼らはイェシバ(ユダヤ教神学校)の学生を兵役から免除する法律を制定しない限り、予算案に賛成しないと迫っていました。しかし、「戦争中に予算なしで戦えるのか」という現実論から、超正統派も今は予算に賛成する方向に傾いています。問題は先送りされただけです。
三つ目は、早期選挙の「勝ち時」を探ることです。ネタニヤフ氏の側近たちは、対イラン軍事作戦が好転すれば首相が早期選挙に打って出る可能性を示唆しています。戦時の「勝利ムード」で、ハレディ問題や2023年10月7日のハマス奇襲を防げなかった失政を覆い隠そうという計算です。
「戦争の英雄」は選挙に強いのか
しかし、この計算が成り立つかどうかは、まったく明らかではありません。
世論調査を見ると、イスラエル国民のネタニヤフ政権への不信感は2023年以降、驚くほど安定して高い水準を保っています。2024年のヒズボラ指導者ハサン・ナスラッラー師の殺害や、昨年のイランの核施設爆撃といった軍事的成果をもってしても、その数字は改善されませんでした。ユダヤ系イスラエル人の実に70%が超正統派の兵役免除に反対しており、先週は90人のイェシバ学生がポーランドのラビの墓参りに渡航する一方で、非ハレディの若者たちが前線に召集されるという場面が国民の怒りに火をつけました。
さらに、現在進行中の戦争は、過去の紛争と比べて「勝利の形」が見えにくいという問題があります。ネタニヤフ氏自身、2022年の回顧録に「こうした作戦を終わらせることは、始めることよりはるかに難しい」と記しています。イランはいまだ政権を維持し、世界のエネルギー供給を人質にとる能力を示し続けています。トランプ氏でさえ、イランとの交渉への転換を示唆し始めています。
日本にとって、この混乱は何を意味するか
中東の政治的混乱は、日本にとって遠い話ではありません。日本はエネルギーの多くを中東に依存しており、ホルムズ海峡が封鎖されるような事態になれば、トヨタや新日鉄住金などの製造業への打撃は計り知れません。原油価格の高騰はすでに日本の物価上昇圧力を高めており、家計への影響は現実のものとなっています。
また、「民主主義国家の指導者が戦時に司法の制約から逃れようとする」という構図は、法の支配と政治権力の関係について、日本社会にも問いを投げかけます。三権分立の機能が、有事においてどこまで守られるべきか——これはイスラエルだけの問題ではありません。
記者
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