絶望は賢さではない――「希望」を持つ技術
不確実な時代に「楽観」ではなく「希望」を選ぶことの意味とは。スタンフォード大学の心理学者ジャミル・ザキ氏の研究から、希望の科学と実践を読み解く。
「悲観的でなければ、頭が悪い」――そう思ったことはありませんか?
実は、70%のアメリカ人が「冷笑的な人は賢い」と信じているという調査結果があります。さらに85%が「冷笑家のほうが嘘を見抜くのが上手い」と考えています。しかしスタンフォード大学の研究者たちは、このふたつの信念がどちらも間違いであることを明らかにしました。冷笑家は非冷笑家より賢くもなく、嘘を見抜く能力も劣っていた、というのです。
「楽観」と「希望」は、まったく別物である
不確実性が日常を覆う時代に、私たちはどう心を保てばよいのか。この問いに向き合うのが、スタンフォード大学社会神経科学研究所所長のジャミル・ザキ氏です。
氏が強調するのは、「楽観(optimism)」と「希望(hope)」の違いです。楽観とは「未来はうまくいく」という信念であり、幸福感や健康と結びついています。しかし楽観的な人は、変化のための行動を起こさない「現状満足」に陥りやすい側面もあります。
一方、希望は異なります。「未来はうまくいくかもしれない。でも、どうなるかはまだわからない」という認識から出発し、困難を直視しながらも「ここからどこへ向かえるか」を問い続ける姿勢です。ザキ氏はこれを「頑固で能動的な世界観」と表現します。
南アフリカのネルソン・マンデラ氏を思い浮かべてください。27年間の獄中生活の中で、彼は「すべてうまくいく」と信じていたわけではないでしょう。しかし、未来が変わりうるという希望を手放さなかった。それが行動の源泉でした。
冷笑主義の罠――絶望が権威主義を助ける
「いつも最悪を予言せよ。そうすれば預言者と呼ばれる」という言葉があります。ザキ氏はこの皮肉な現象を「否定性と知恵が同一視される文化」と分析します。
より深刻なのは、この冷笑主義が社会的な無力感につながるという点です。研究によれば、絶望的・冷笑的な人ほど投票率が低く、社会運動への参加も少ない傾向があります。そしてザキ氏は踏み込んで言います。「権威主義的な体制は、人々が絶望しているときに最も恩恵を受ける。多くの宣伝工作は、意図的に人々を絶望させようとしている」と。
絶望は人を「凍りつかせる」。行動できなくさせる。それは個人の問題ではなく、政治的・社会的な構造の問題でもあるのです。
日本社会においても、この視点は無関係ではありません。長引く経済停滞、少子高齢化、AIによる雇用変容への不安――こうした課題を前に、「どうせ変わらない」という諦観が広がっているとすれば、それは社会変革の芽を摘む土壌になりかねません。
希望は才能ではなく、練習である
「自分は生まれつき悲観的だから」と思う方もいるかもしれません。双子研究によれば、楽観性や希望の遺伝的要因は約25%にすぎません。残りの75%は、経験と環境によって形成されます。
幼少期の温かい家庭環境は希望を育てやすくしますが、それがなくても、希望は後天的に育てることができます。心理療法はその有効な手段のひとつです。
ザキ氏が提唱するのは、「気づきの練習」としての希望の培い方です。悪いことを無視するのではなく、美しいものにも意識的に目を向けること。フィルムカメラを手に街を歩き、光と影を探す行為が、世界の見え方を変える――これは比喩ではなく、実際に研究が支持するアプローチです。
趣味はその実践の場として機能します。自分が大切にするものに注意を向け、同じ関心を持つ人々とつながる機会を生む。パンデミック以降、多くの人が新たな趣味を持ち始めた現象は、単なる暇つぶしではなく、希望を維持するための本能的な営みだったのかもしれません。
さらにザキ氏は、コミュニティの力を強調します。「希望を持つ人は、ひとりで希望を持っているわけではない。同じ変化を求める人々のコミュニティを見つけ、ともに動く」。画面越しの世界では「すべてが最悪」に見えても、実際に近所の人々と話してみると、人々は思ったよりずっと善良で豊かな日常を生きていることがわかる、とも言います。
歴史という鏡を持つこと
現在の困難が「史上最悪」に感じられるのは、ある意味で自然なことです。しかし人類は、疫病、戦争、独裁、経済崩壊を何度も乗り越えてきました。アウシュビッツを生き延びた人々が出会い、家族を作った。公民権運動の活動家たちが、不可能に思えた変化を実現した。
過去を振り返ることは、現実逃避ではありません。「私たちは乗り越えてきた」という証拠を積み重ねることで、「これからも乗り越えられるかもしれない」という可能性の感覚――つまり希望――を育てる行為です。
記者
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