歴史は警告する――ホルムズ海峡という罠
イラン戦争が長期化する中、歴史家ニーアル・ファーガソンは1915年のガリポリの教訓を引用し、ホルムズ海峡封鎖がもたらす経済的・地政学的連鎖反応を警告する。日本のエネルギー安全保障にも直結する問題だ。
100年前、ウィンストン・チャーチルも「短期決戦」のつもりだった。
1915年、英国海軍の最高司令官として自信に満ちていたチャーチルは、ダーダネルス海峡を力で突破しオスマン帝国を屈服させようとした。作戦は「低リスクの海軍作戦」として始まったが、やがて地上部隊を投入するガリポリ上陸作戦へとエスカレートし、最終的に50万人の死傷者と英国軍の屈辱的な撤退という結末を迎えた。
保守派歴史家のニーアル・ファーガソンは、米国メディア『ザ・フリー・プレス』への寄稿「イラン戦争はこうして世界に広がる」の中で、この歴史的失敗を現在進行形のイラン戦争に重ね合わせる。そして日本にとっても、この分析は決して他人事ではない。
チョークポイントという名の急所
ファーガソンが最初に指摘するのは、「金融制裁よりも古い武器」としての地理的チョークポイントの重要性だ。ホルムズ海峡、スエズ運河、マラッカ海峡――これらは現代の経済システムを支える動脈であり、戦争の余波が最も残酷な形で現れる場所でもある。
「商業上の要衝が戦争の犠牲になるとき、意図せざる結果の法則ほど厳しいものはない」とファーガソンは書く。
1914年当時、英国は小麦の80%、肉の40%、砂糖の100%を輸入に頼っていた。ダーダネルス海峡の封鎖は食料不足と物価高騰を引き起こし、カナダからオーストラリア、インドに至る大英帝国全域で社会不安の恐怖が広がった。ロシアは黒海経由の農産物・鉱物輸出から外貨収入の85%を得ており、海峡封鎖はロシアの財政危機と連合国全体の信用不安へと波及した。
この構図を2026年に置き換えれば、日本の状況は当時の英国よりもはるかに脆弱だ。日本は原油輸入の約90%を中東に依存しており、その大部分がホルムズ海峡を通過する。トヨタや日産の自動車工場、新日本製鉄の高炉、そして一般家庭の電力供給まで、この細い海峡の動向に直結している。
六つの教訓と、繰り返される過ち
ファーガソンはガリポリの失敗から六つの教訓を抽出し、それぞれが現在のワシントンの意思決定にも当てはまると論じる。
まず、政策立案者は自らの決断がもたらす二次的・三次的影響を予見することが極めて難しい。敵の行動は優れた情報があっても予測しにくく、グローバル経済の複雑性は「バタフライ効果」的な非線形の連鎖反応を生む。次に、戦略的・作戦的レベルでの意思決定構造が競合する議論を生み出し、それは担当者の個性だけでなく各省庁の優先事項を反映する。民主主義国家では軍事的専門知識が国内政治的計算によって覆されることが多い。同盟国や中立国の異なる優先事項も無視できない。経済的悪影響が生じると、政府は市場介入の誘惑に駆られるが、その介入は保険市場や先物市場のメカニズムを十分に理解していないために意図せざる結果を招く。そして危機においては意思決定のテンポが上がり、不確実性の下での行動の困難さを悪化させる。
これらの教訓が示すのは、戦争の霧の中では最も賢明なリーダーでさえ認知的な罠にはまりやすいという冷厳な事実だ。トランプ政権が「短期決戦」を想定してイランへの軍事行動を開始したとすれば、それはチャーチルが「低リスクの海軍作戦」と呼んだものと構造的に同じ楽観主義の誤謬を犯している可能性がある。
日本が直面する「三正面」の現実
ファーガソンが最も重要な指摘として挙げるのが、米国の戦略的資源の分散問題だ。中東、ウクライナ、東アジア――米国はこの三つの正面で同時に軍事的・外交的プレゼンスを維持することはできない。イラン戦争に注がれるリソース、注意力、政治的資本は、台湾海峡周辺での抑止力の低下と表裏一体だ。
この文脈で最も利益を得るのはロシアと中国だとファーガソンは断言する。ロシアは制裁緩和と原油価格高騰によって短期的な経済利益を享受し、中国は事前に大規模な石油備蓄を構築し、輸送部門を中心に再生可能エネルギーへの転換を加速することで脆弱性を低減させていた。
日本にとって、この地政学的再編は安全保障政策の根本的な問いを突きつける。日米同盟の信頼性は維持されるのか。エネルギー安全保障の多角化は十分に進んでいるのか。そして、歴史的に「専守防衛」を基本としてきた日本が、この流動的な世界秩序の中でどのような役割を担うべきなのか。
岸田政権から石破政権へと続く防衛費増額の流れは、こうした問いへの一つの回答だ。しかしファーガソンの分析が示唆するのは、軍事力の増強だけでは不十分であり、歴史的な洞察に基づく戦略的思考こそが求められるということだ。
記者
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