「妊娠が辛い」と言えない社会の呪縛
妊娠を楽しめないことに罪悪感を覚える人は多い。イェール大学の精神科医が語る「妊娠中ずっと幸せでいる人はむしろ例外」という現実と、日本社会が抱える母性神話の問題を考える。
「妊娠って、こんなに辛いものだったの?」——そう感じた瞬間、次にやってくるのは罪悪感だ。
不妊治療に何百万円もかけている友人がいる。流産を経験した人がいる。それなのに、「妊娠が嫌だ」と思ってしまう自分は、おかしいのだろうか。最低な人間なのだろうか。
この問いに、イェール大学医学部の精神科准教授で、女性と母親のウェルビーイングセンター長を務めるアリアドナ・フォレイ博士は、こう答える。「妊娠中ずっと大喜びで、ただただ幸せだという人に会ったことは、むしろほとんどありません」
「美しい体験」という神話が生む苦しみ
妊娠は、映画でもSNSでも「人生最高の時間」として描かれることが多い。草原を歩く妊婦、お腹を優しく抱える幸せそうな表情、おしゃれなマタニティフォト——そういったイメージが積み重なり、「妊娠とはこういうものだ」という期待値が私たちの脳に刷り込まれていく。
街で会った知り合いから「この時間を楽しんでね!」と言われる。義母から「私は妊娠が大好きだったわ」と聞かされる。そして、「産んだら忘れるわよ」という言葉が追い打ちをかける。
ところが現実はどうか。妊娠初期から激しいつわりに苦しむ人がいる。切迫早産で自宅安静を余儀なくされる人がいる。妊娠糖尿病や子宮頸管の問題など、合併症を抱えながら過ごす人がいる。身体だけではない。ホルモンの急激な変化により、脳の構造そのものが変化し、中枢神経系が再編成される。不安、抑うつ、苛立ち——これらは「気のせい」ではなく、生理的なプロセスの一部だ。
周産期メンタルヘルスを専門とするセラピスト、オリビア・ファム氏は「クライアントの大多数が、何らかの理由で妊娠を楽しめていない」と語る。そして多くの人が「社会から約束された理想の妊娠を奪われた」という感覚を抱えているという。
「望んで授かったのに、なぜ幸せじゃないの?」
この罪悪感は、妊娠に至った経緯によってさらに複雑な様相を呈する。
体外受精(IVF)など高度生殖補助技術を経て妊娠した場合、「これほど望んだのに、なぜ喜べないのか」という自己批判が生まれやすい。日本では不妊治療を経験した女性の割合は増加傾向にあり、2022年には出生児の約11人に1人が体外受精によって生まれている。治療の身体的・精神的・経済的な重荷を乗り越えてきた人ほど、「幸せでなければならない」というプレッシャーは強くなる。
過去に流産を経験した人(妊娠の10〜20%が流産に終わると言われる)は、今の妊娠への愛着を意図的に抑制することがある。「また失うかもしれない」という恐怖から、自分を守るために感情的な距離を置くのだ。妊娠アプリが「お腹の赤ちゃんに話しかけてみましょう」と促しても、それが「不自然」に感じられるのは、決して冷たさの表れではない。
さらに、望まない妊娠、性的虐待の経験、経済的な不安、仕事やキャリアへの影響——これらすべてが、妊娠という体験に複雑な感情の層を重ねていく。
日本社会における「母性」の重圧
日本では、「母性本能」という概念が長らく社会に根付いてきた。「母親は子どもを無条件に愛するものだ」「妊娠・育児は女性にとって自然で喜ばしいことだ」——こうした規範は、学校教育、メディア、職場文化、そして家族の会話の中に今も息づいている。
一方で、日本の合計特殊出生率は2023年に過去最低の1.20を記録した。少子化対策として政府が掲げる「子育て支援」の多くは、出産後の経済的支援や保育サービスの拡充に焦点を当てている。しかし、妊娠中のメンタルヘルスへの支援——「妊娠が辛い」という感情そのものを受け止める仕組み——は、まだ十分とは言えない。
周産期うつは産後だけでなく、妊娠中にも起こりうる。だが「妊娠中は幸せなはず」という社会的期待が、当事者が声を上げることを阻んでいる可能性がある。辛さを言語化できない社会は、辛さを抱えた人を孤立させる。
では、どうすればいいのか
フォレイ博士とファム氏が共通して強調するのは、「ポジティブに変えようとしない」ことの重要性だ。「大丈夫、きっと楽しくなるよ」という励ましは、時に有害な楽観主義(トキシック・ポジティビティ)になりうる。それよりも、今感じていることをそのまま認めること——「そう感じるのは、おかしくない」と言葉にすること——が、まず必要だ。
具体的には、感情を押し込めずに座って向き合うこと、信頼できる友人や家族に話すこと、日記をつけること、可能であれば軽い運動をすること。そして、周産期メンタルヘルスを専門とするセラピストへの相談も有効だ。睡眠の乱れ、強い不安感、食欲の変化、集中力の低下が続く場合は、専門的なサポートを求めるサインかもしれない。
SNSから距離を置くことも、フォレイ博士が勧める対処法のひとつだ。アルゴリズムは「理想の妊娠」を映し出すコンテンツを次々と送り込んでくる。それは現実ではなく、編集された一断面に過ぎない。
本コンテンツはAIが原文記事を基に要約・分析したものです。正確性に努めていますが、誤りがある可能性があります。原文の確認をお勧めします。
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