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「変革」か「贅沢品」か——実験的大学の終焉が問いかけること
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「変革」か「贅沢品」か——実験的大学の終焉が問いかけること

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マサチューセッツ州のハンプシャー大学が2026年12月に閉校。少子化・経済的圧力・職業教育化の波に抗えなかった実験的リベラルアーツ教育の終焉が、日本の高等教育にも問いを投げかける。

「ハンプシャーは変革的な教育に捧げられた大学だった。しかし今、高等教育は取引的なものに乗っ取られている」——ドキュメンタリー映画監督でハンプシャー大学の卒業生でもあるケン・バーンズは、母校の閉校を知り、こう語った。

「知るだけでは足りない」——その理念の終わり

2026年4月14日、マサチューセッツ州アマーストに位置するハンプシャー大学が、同年12月をもって閉校すると発表した。理由として、大学理事長のホセ・フエンテス氏は「入学者数の減少、長年にわたる負債の重さ、土地開発計画の停滞」を挙げた。

現在の在籍学生数は625人。2000年代初頭には約1,200人が在籍していたことを考えると、20年余りで学生数はほぼ半減した計算になる。年間の授業料と住居費を合わせると7万2,000ドル超(約1,100万円)にのぼるにもかかわらず、学生を引き留めることはできなかった。

ハンプシャー大学1965年に設立された。「学習の画一的なモデルを廃棄した」と自称するこの大学には、従来型の必修科目がなく、学生が自分自身でプロジェクトを設計・推進する「自己主導型カリキュラム」を採用していた。大学のモットーは「Non Satis Scire(知るだけでは足りない)」。知識を得るだけでなく、それをどう使い、社会にどう働きかけるかを問い続けることが教育の核心だった。

しかし今回の閉校は、突然の出来事ではない。ここ数年で、同様の実験的教育を掲げた小規模大学が相次いで閉校している。バーモント州のグリーンマウンテン大学(2019年閉校)、マーボロ大学(2020年)、ゴダード大学(2024年)——いずれも実験的教育の世界では知られた存在だったが、財政難の前に門を閉ざした。

「学びのユートピア」はなぜ生まれ、なぜ消えるのか

そもそも、実験的教育の思想はどこから来たのか。その源流は、20世紀初頭のアメリカの哲学者ジョン・デューイに遡る。デューイは「旧来の学校教育モデルは時代遅れだ」と主張し、「学生は受動的ではなく能動的であるべきだ。動機づけには恐怖ではなく興味を用いるべきだ」と説いた。

その思想は1917年のカリフォルニア州のディープスプリングス大学(学生数24〜30人の2年制大学で、学生自身が運営に参加する)、1921年アンティオック大学(米国初のコープ教育プログラムを導入)、そして1920〜30年代のサラ・ローレンス大学ベニントン大学へと受け継がれた。

1960年代には数十校もの実験的大学が設立されたが、教育学者のリード・ピトニー・ヒギンソンが指摘するように、これらの学校は「高等教育を変革するためではなく、既存の学校の選択肢に多様性を加えるために設計された」ものだった。つまり、最初から「例外」であることを宿命づけられていた存在でもある。

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問題は、その「例外」を支えるだけの財政基盤が整わなかったことだ。大規模な寄付金も、連邦政府からの潤沢な資金も、実験的大学には集まりにくかった。ハンプシャー大学アマースト大学スミス大学マウント・ホリヨーク大学マサチューセッツ大学と「ファイブ・カレッジ・コンソーシアム」を形成し、学生が複数のキャンパスで授業を受けられる環境を整えていた。それでも、閉校を防ぐことはできなかった。

「ルイ・ヴィトンのバッグ」としての大学教育

ケン・バーンズの言葉は、現代の高等教育が抱える根本的な矛盾を鋭く突いている。「大学教育は、ある人々にとってルイ・ヴィトンのバッグのようなものになっている。それはハンプシャーではない」。

今日の学生の多くは、大学を「投資」として捉えている。卒業後に即戦力となるスキルや資格が得られるかどうか——そこに価値判断の軸が移りつつある。この傾向は日本でも無縁ではない。

日本でも、文部科学省が国立大学に対して「人文社会科学系の学部・大学院の組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を求めた2015年の通知は、当時大きな議論を呼んだ。その後も、就職率や卒業後の収入といった「数値で見える成果」を重視する傾向は強まっている。

一方で、日本の少子化は高等教育の経営に直接的な打撃を与えている。2024年度時点で、日本の私立大学の約3割が定員割れしているとされる。小規模で個性的な大学ほど、この波に飲み込まれやすい。

リベラルアーツ教育の価値を信じる人々は、批判的思考力、異文化理解、複雑な問題への対処能力こそが、AIが台頭する時代に最も必要とされる能力だと主張する。しかし、その価値を「就職率」や「初任給」という指標に換算することは難しい。

誰が、何を失うのか

ハンプシャー大学の閉校によって、直接的な影響を受けるのはまず在籍中の学生たちだ。最終学年の学生は卒業が認められるが、それ以外の学生はコンソーシアム内の他大学への転学を余儀なくされる。入学を決めていた新入生には、入学金が返還される。

しかし、より大きな損失は目に見えにくいかもしれない。伝統的な学校環境に馴染めなかった学生——既存の枠組みに収まらない探究心を持つ若者——が選べる場所が、また一つ消えた。

教育学者のオースティン・サラット(アマースト大学法学教授)は、「ハンプシャー大学は確かにその理念を体現した教育を提供していた」と証言する。そして今回の閉校を、「財政力のある大学と、従来型・職業訓練型のカリキュラムを提供する大学が優位に立つ、高等教育の統合・集約化の一つの象徴」と位置づける。

豊かな寄付金を持ち、大企業との連携も強い大規模大学が生き残り、小規模で実験的な大学が消えていく——この構造は、高等教育の「多様性」という理念そのものを問い直させる。

本コンテンツはAIが原文記事を基に要約・分析したものです。正確性に努めていますが、誤りがある可能性があります。原文の確認をお勧めします。

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