フィンランドが教える民主主義の守り方:極右の脅威を乗り越えた100年前の教訓
1930年代のフィンランドは極右運動により民主主義の危機に直面したが、保守政治家の決断により危機を回避。現代の民主主義国家への教訓とは?
現在、世界で唯一100点満点の政治的権利と市民的自由度を誇るフィンランド。しかし約100年前、この国は民主主義を失う寸前まで追い込まれていたことをご存じでしょうか。
血塗られた独立と極右の台頭
1919年、フィンランドは社会主義者の「赤軍」と保守派の「白軍」による激しい内戦を経て近代国家として誕生しました。白軍の勝利後も共産主義への恐怖は根深く残り、1920年代末にはラプア運動と呼ばれる極右・権威主義勢力が形成されました。
この運動は単なる過激派集団ではありませんでした。極右急進派だけでなく、中道右派の政治家、専門職、銀行家、そして著名な実業家たちまでもが、運動の人気に便乗しようと参加したのです。1930年夏、約12,000人のラプア運動メンバーがヘルシンキに向けて行進。これはムッソリーニの1922年ローマ進軍を模倣したものでした。
民主主義の静かな侵食
ヘルシンキ行進は政府転覆には至りませんでしたが、実際にその必要もありませんでした。当時の保守政権がラプア運動に共感的だったからです。行進後、政府は共産主義者の言論と政治参加を制限する非民主的な「改革」を次々と可決しました。
しかし過激派は満足せず、暴力的な手法をエスカレートさせていきます。政治的ライバルを自宅から拉致し、ソ連国境に「投棄」する象徴的な誘拐事件を繰り返すようになったのです。1930年には、フィンランド共和国初の民主的に選出された大統領カールロ・ユホ・スタールベリまで誘拐する暴挙に出ました。
転換点:良識の勝利
ヘルシンキ大学の研究者オウラ・シルヴェンノイネン氏によると、この大統領誘拐事件が転換点となりました。「それまで支持していた穏健派や中道右派の人々の良識に反するものだった」のです。
1932年、極右勢力は最後の賭けに出ます。メンツァラという町から首都への武装蜂起を企て、反共産主義に共感的だった市民警備隊に政府への反乱参加を呼びかけました。
ところが市民警備隊の大部分は行動を起こさず、裁判官や主流保守政治家たちが過激派を排除する動きに転じたのです。それまでラプア運動の寵児と見なされていた保守派大統領は、非常事態宣言を発令し、運動指導者の逮捕を命じ、全国ラジオ放送でメンバーに帰宅を命令しました。
「長い人生を通じて、私は法と正義を守るために戦ってきた。今、法が踏みにじられることを許すわけにはいかない」
民主主義の復活
運動は数年以内に完全に消滅し、1937年には安定した中道左派連立政権がフィンランドで権力を握りました。現在、フィンランドはフリーダムハウスの政治的権利・市民的自由指数で100点満点を獲得する唯一の国となっています(アメリカは84点、カナダは97点)。
シルヴェンノイネン氏は重要な指摘をしています。「イタリアのファシストやドイツのナチスは記憶されているが、実際にはほぼすべてのヨーロッパ諸国に独自の極右運動があった。そしてそのほとんどすべてが失敗した」
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