陰謀論の渦中から抜け出した男の告白
Infowarsで4年間働いたジョシュ・オーウェンズが語る、陰謀論メディアの内側と脱過激化の実体験。なぜ人は騙され、どうすれば抜け出せるのか。メディアリテラシーと人間関係の力を問う。
「地獄があるとしたら、私たちはそこへ行くんだろう」――偽のISIS戦闘員に扮した同僚を撮影しながら、ジョシュ・オーウェンズはそう思った。それでもカメラのシャッターを押し続けた。
普通の若者が陰謀論工場に入るまで
ジョシュ・オーウェンズは、映画好きのごく普通の若者だった。2008年、友人と映画『博士の異常な愛情』を観ていたとき、水道水のフッ素添加をめぐるセリフがきっかけで、陰謀論者アレックス・ジョーンズのラジオ番組にたどり着いた。最初は「面白い変わり者がいるな」という程度の興味だった。
ジョーンズはInfowarsという独自メディアを運営し、「9.11はアメリカ政府の自作自演だ」「権力者が世界を支配している」といった陰謀論を発信し続けてきた人物だ。2016年の大統領選ではドナルド・トランプ候補本人へのインタビューを実現させ、右派メディアの主流に躍り出た。
オーウェンズはその後、教会の清掃員として働きながら、ジョーンズの番組を「耳に入れ続けた」。そして映像コンテスト経由でInfowarsへの就職チャンスを得たとき、タイラー・ペリー・スタジオからの内定と天秤にかけた末、ジョーンズの世界を選んだ。「世界を救う何か大きなことに貢献できるかもしれない」という、当時の自分を「ナイーブに善意があった」と今は振り返る。
「嘘をつけ」とは一度も言われなかった
Infowarsのオフィスは、映画学校の散らかった制作室のようだった。しかしその中心には、極めて特殊な権力構造があった。
ジョーンズは究極のマイクロマネージャーだった。スタッフ全員が毎朝、彼の機嫌を読み解くことから一日を始める。突然激昂し、物を殴りつけるかと思えば、次の瞬間には温かく冗談を飛ばす。この予測不可能な振る舞いが、スタッフを心理的に支配する仕組みになっていた。「彼の承認を得ることが仕事のすべてになっていた」とオーウェンズは語る。
より深刻だったのは、ジョーンズが「嘘をつけ」と命令したことは一度もなかった、という事実だ。代わりに彼は、スタッフ自身の判断力を徐々に侵食していった。メキシコ国境付近でISISの拠点を「取材」するよう派遣されたとき、何も見つからなかった。しかし報告書は作らなければならない。同僚がISIS戦闘員に扮して国境を歩く映像を撮影し、「拠点を発見した」という内容でアップロードした。
その翌日、FBIが空港で待ち構えていた。ところがFBI捜査官は彼らを叱責するのではなく、「あなた方の映像を情報収集に使わせてほしい」と言った。「これはまずい」と思っていたオーウェンズの脳内で、何かが揺らいだ。「もしかしたら、自分が見えていないものがあるのかもしれない」。
これがジョーンズの本当の手口だった。直接的な洗脳ではなく、現実認識そのものを曖昧にさせること。「何年もその環境にいると、脳内の火災警報が鳴っても、『これはおかしい、間違っている』という声を信じられなくなる」とオーウェンズは言う。
抜け出すのに必要だったもの
ニューヨーク州北部のイスラム教徒コミュニティ「Islamberg」を取材した帰りの飛行機で、オーウェンズはヒジャブをつけた小さな女の子が窓の外を眺めているのを目にした。自分たちの報道が、この子の生きる世界をどう変えてしまうのか――初めて「個人」が見えた瞬間だった。
しかし、それだけでは足りなかった。脱出には人間関係の力が必要だった。
パートナーのレイシーは、オーウェンズがPlanned Parenthoodの前でジョーンズの抗議活動を撮影した夜、静かに問い続けた。「あなたは何をしているの?」と。怒鳴ったのではなく、問い続けた。作家のジョン・ロンソンは、オーウェンズが「何かを暴露したい」と秘密裏に会いに来たとき、「それを書くなら、この経験そのものを書くべきだ」と方向を示した。そしてジャーナリストのチャーリー・ウォーゼルは、元Infowarsスタッフというレッテルを貼らず、一人の人間として接した。
「その人たちが扉を開け続けてくれた。そして会話の場を作ってくれた」とオーウェンズは語る。2019年にニューヨーク・タイムズへの寄稿で初めて公に経験を語り、その後サンディフック訴訟で証言台に立った。そして今年、回顧録『The Madness of Believing』を出版した。
ジョーンズはサンディフック小学校銃乱射事件を「偽旗作戦」と主張し続け、遺族を「俳優」と呼んだ。裁判所は名誉毀損を認定し、14億ドル(約2,100億円)の損害賠償を命じた。
「繋がり」を拒否する世界への警告
オーウェンズが今、最も懸念しているのは「マノスフィア(男性優位主義的オンラインコミュニティ)」の台頭だ。「人間関係の投資対効果は?」「それは自分に何をもたらすのか?」という功利的な問いが、繋がりそのものを解体しつつある。
彼の経験はその正反対にある。自分より賢い人、自分を本当に気にかけてくれる人との関係が、陰謀論の世界から彼を引き戻した。陰謀論コミュニティでは、自分の考えに同意しない人間は即座に切り捨てられる。その孤立こそが、支配の道具だった。
日本でも、SNSを通じた情報の断片化や、特定のコミュニティへの没入が社会問題として議論されている。若者の孤立、オンラインでの過激思想への接触、そして現実の人間関係の希薄化――これらはアメリカだけの問題ではない。
記者
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