研究室で「妊娠の瞬間」を再現、不妊治療に大きな一歩

まるでヒトの妊娠の始まりのような光景です。球状の胚が、子宮内膜に見立てた組織にそっと触れ、やがてしっかりと結合し、未来の胎盤となる最初の触手を伸ばし始めます。これは「着床」、つまり妊娠が正式に始まる瞬間です。しかし、この全ては母体の中ではなく、北京の研究所にあるマイクロ流体チップの中で起きています。

「生命のブラックボックス」を解き明かす試み

今週、学術誌セル・プレスで発表された3つの論文で、科学者たちは妊娠初期の瞬間を研究室で再現する、これまでで最も精密なモデルを報告しました。研究チームは、 体外受精 (IVF)センターから提供されたヒトの胚と、子宮内膜細胞から作られた「 オーガノイド」を融合させることに成功しました。

これらの研究は、中国の研究チーム2組と、英国、スペイン、米国の国際共同研究チームによって行われました。テキサス大学サウスウェスタン医療センターの生物学者であり、中国の2つの研究に貢献したジュン・ウー氏は、「胚と子宮内膜オーガノイドを組み合わせる。これが3つの論文に共通する大きなメッセージです」と語ります。この3Dモデルによって、これまで子宮の中でしか起こらず観察が困難だった着床プロセスを詳細に研究できるようになります。

IVFの成功率向上への期待

体外受精 (IVF)では、受精卵（胚盤胞）を子宮に戻しますが、着床に失敗するケースが多く、これが成功率を阻む大きな壁となっています。スタンフォード大学の生物学者マッテオ・モレ氏は、「着床は妊娠の障壁です。研究室でそのモデル化ができれば、成功率を高める可能性があります」と指摘します。

北京のチームは、このモデルを創薬スクリーニングにも応用しました。繰り返しIVFに失敗した女性から採取した組織でオーガノイドを作り、 1,119種類の承認薬をテストしました。その結果、一部の日焼け止めに含まれる化学物質アボベンゾンが、人工胚モデルである「 ブラストイド」の着床開始率を、わずか 5%から 25%まで向上させる効果を示したといいます。研究チームは将来的に臨床試験を開始することを目指しています。

人工子宮への道と倫理的課題

今回の実験は、倫理規定に基づき胚の培養期間が14日以内に制限されています。しかし、研究が進み、オーガノイドに血管や免疫細胞などを追加して、より現実に近い環境が作れるようになれば、胚をさらに長く培養できる可能性が出てきます。

この技術は、体外で胎児を育てる「完全な人工子宮」への第一歩と見る向きもあります。しかし、研究に携わったウー氏自身は、「この技術が体外発生に関連していることは確かですが、人工子宮にはほど遠い。それはまだサイエンス・フィクションの世界です」と述べ、現状では実現不可能であるとの見解を示しています。