スマホを消したら、神に近づけるか?
米国で100万部超のベストセラー牧師ジョン・マーク・コーマーが説く「急ぎの排除」。デジタル疲弊の時代に、古代キリスト教の修行が若者を引きつける理由を探る。
朝の祈りが終わるまで、彼はスマートフォンを見ない。クリスマス前に設定した自動返信メールには「休息のリズムを守っている」と書かれており、その間に届いたメッセージはすべて削除される——これが、いまアメリカで最も注目される牧師の日常だ。
ジョン・マーク・コーマーは、著書の累計販売部数が100万部を超えるベストセラー作家であり、牧師だ。しかし彼の公式サイトには問い合わせページがない。講演のために飛び回ることもほとんどない。ロサンゼルス郊外のトパンガ・キャニオン——ヒッピー文化とクリスタルと星座ワークショップで知られる山岳コミュニティ——に静かに暮らしている。
「急ぎ」こそが魂の敵だ
2019年に出版されたコーマーの代表作『The Ruthless Elimination of Hurry(急ぎの徹底的な排除)』は、一見すると自己啓発書のように見える。スマートフォンをいわゆる「ダムフォン」に変える方法——SNSとブラウザを削除し、通知をオフにし、画面をグレースケールに設定する——が具体的に記されている。
しかしコーマー自身はこう言う。「これはイエスへの弟子入りについての本が、自己啓発書に偽装しているんです」
彼の主張の核心はシンプルだ。現代社会の最大の霊的脅威は「忙しさ」ではなく「急ぎ」——常に何かをしなければならないという焦燥感、アルゴリズムに注意を奪われ続ける状態——であり、それはイエスが生きた時代にも存在しなかった問題ではなく、むしろ古代の修行によって対処できると説く。安息日(24時間のデジタルオフ)、断食、沈黙と孤独、祈り、聖書の読書。これらは「霊的考古学」——失われた古代キリスト教の実践を現代に蘇らせる試み——だとコーマーは位置づける。
2024年の最新作『Practicing the Way』では、イエスの9つの習慣を現代人の生活に取り込む方法を提示。この本に基づく無料コースは、すでに2万1,000以上の教会グループが採用している。
なぜ「いま」この牧師が響くのか
ニューヨーク・シティの礼拝堂で開かれた集会を取材した記者は、こんな光景を目にした。聴衆の多くは20〜30代。コーマーが壇上に上がると歓声が上がり、最初にスクリーンに映し出されたのは聖書の一節ではなく、バズフィードに掲載された「ミレニアル世代はいかにしてバーンアウト世代になったか」という記事の抜粋だった。そして記者は気づいた——前の席の男性のスマートフォン画面はグレースケールに設定されていた。隣の席の人も同じだった。
コーマーの影響は礼拝堂の外にも広がっている。友人が24時間のスマホなし安息日を始めた。ルームメイトたちが月に数回の断食を実践し始めた。そして次々と「あの本を読んでみて」と勧められる——これが記者の実体験だ。
キリスト教トゥデイ誌の編集主幹ラッセル・ムーアはこう分析する。「多くのアメリカ人福音派リーダーはいまアルゴリズム的です。SNSでの反響を最大化するために、説教の過激さをどんどん上げていく。コーマーはその逆を行っている」
実際、コーマーは同性婚に反対する立場を取り、中絶を「生殖の正義」とする考え方にも異議を唱えている。しかしそれらを声高に説教することはない。保守派キリスト教徒からは「リベラルすぎる」と疑われ、進歩派からは「保守的すぎる」と距離を置かれる。どちらの陣営にも収まらない、奇妙な立ち位置だ。
ウェルネスか、信仰か——それとも両方か
ここで批判者たちが問う。コーマーが提供しているのは、結局のところ「洗礼を受けたウェルネス」ではないのか、と。
断食と規律はアンドリュー・ヒューバーマン(スタンフォード大学の神経科学者でポッドキャストの人気ホスト)からも学べる。セルフケアはグープ(グウィネス・パルトロウのウェルネスブランド)から得られる。コーマー自身も認める。「でもウェルネス文化は山上の垂訓については語らない」
その垂訓でイエスは言う——敵を愛せよ、右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ、神と富を同時に仕えることはできない。これは単なる「ストレス軽減」とは次元が異なる要求だ。
神学者のケヴィン・デヤングはより根本的な疑問を提示する。「福音書の本当の要点——イエスが誰であるかを理解し、彼への信仰を持ち、礼拝すること——が後景に退き、イエスのように生きることが前景に出てしまっている」と批判する。また、コーマーの実践が「裕福な若い都市生活者向けに調整されたポップ・スピリチュアリティ」だという指摘もある。安息日にスマホを手放し、断食を実践する余裕は、時間的・経済的に恵まれた人々にこそ可能なことではないか、と。
コーマー自身も完全な答えは持っていない。「僕は全員が全部の実践をすべきだとは言っていない」と彼は言う。問うべきは「今週断食したか?」ではなく「自分はより穏やかになっているか? より謙虚になっているか?」だ、と。
日本社会への問い——「余白」はどこへ消えたのか
コーマーの現象を日本の文脈で読むとき、いくつかの接点が浮かび上がる。
日本では「過労死」という言葉が国際語になるほど、長時間労働と燃え尽き症候群は深刻な社会問題だ。政府が「働き方改革」を推進し、企業が有給休暇取得を義務化しても、「休む罪悪感」はなかなか消えない。コーマーが語る「急ぎ」の文化は、日本においてもまったく他人事ではない。
また、日本でも「マインドフルネス」や「デジタルデトックス」への関心は高まっている。しかしそれらは多くの場合、生産性向上のツールとして語られる——より効率よく働くために休む、という逆説だ。コーマーが提示するのはその逆だ。生産性のためではなく、「神との関係」あるいは「より深い人間性」のために立ち止まる、という論理だ。
宗教的背景が異なる日本において、コーマーのアプローチは「キリスト教の実践」としてではなく、「古代の知恵の現代的応用」として受け取られる可能性がある。実際、禅の坐禅、茶道の「一期一会」、あるいは神道の「清め」の概念は、コーマーが語る「沈黙と孤独」「安息」の実践と構造的に近い部分を持つ。
問題は、そのような「余白」を社会的に許容する空気が、日本にどれだけ残っているか、だ。
本コンテンツはAIが原文記事を基に要約・分析したものです。正確性に努めていますが、誤りがある可能性があります。原文の確認をお勧めします。
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