「金持ちがルールを破るなら、私も」——道徳の崩壊か、正当な怒りか
NYタイムズの動画でジア・トレンティーノとハサン・ピカーが万引きや破壊工作を「正当化」。エリートへの不信が道徳哲学をどう書き換えているのか、日本社会への示唆も含めて考える。
ホールフーズでレモンを一つ盗む。それは道徳的な抵抗なのか、それとも単なる窃盗なのか。
2026年4月、ニューヨーク・タイムズが公開した一本の動画が、アメリカのリベラル知識人層に静かな波紋を広げている。登場したのは、ニューヨーカー誌のスタッフライターであるジア・トレンティーノ、300万人のフォロワーを持つストリーマーハサン・ピカー、そしてタイムズのオピニオン編集者ナジャ・スピーゲルマンの3人だ。動画のタイトルは「金持ちはルールに従わない。では、なぜ私が従うべきなのか?」。
何が起きたのか——会話の中身
トレンティーノはまず、ホールフーズ(Amazon傘下の高級スーパー)からレモンを万引きしたことを自ら認めた。「大型チェーン店からの窃盗は、道徳的な過ちとしても、抗議活動としても、さほど重大なことではないと思います」と彼女は述べた。さらに踏み込んで「みんなも試してみて。何が起きるか見てみよう」とまで言った。
ピカーはそこに「海賊版は全面的に支持する。技術的に可能なら車だって海賊版にしたい」と加え、ルーブル美術館から盗むことも「かっこいい」と表現した。「銀行強盗や貴重な美術品の窃盗——そういうクールな犯罪に戻らないといけない」という発言まで飛び出した。
会話はさらに深刻な方向へ進む。スピーゲルマンが「社会的に許容されていないが、本来は許されるべきことは?」と問うと、トレンティーノは「パイプラインを爆破すること、かもしれない」と答えた。そして話題がユナイテッドヘルスケアのCEO暗殺事件の容疑者ルイジ・マンジョーネに及ぶと、2人はその犯行への社会的な共感を「理解できる」と語りながら、微笑みを交わした。
この動画を見た批評家たちは、3人が「明示的には暴力を肯定していない」としながらも、その曖昧な態度こそが問題だと指摘する。言葉の上では否定しながら、表情と文脈は別のメッセージを送っていた。
なぜ今、この議論が浮上したのか
これは単なる炎上案件ではない。この会話が象徴するのは、アメリカ左派の一部で進行している道徳的枠組みの根本的な組み替えだ。
背景には、18世紀の哲学者イマヌエル・カントが提唱した「定言命法」——「自分がされたいように他者に接せよ」という普遍的道徳原則——への公然たる反旗がある。トレンティーノ自身、この原則が「もはや自分には当てはまらない」と述べている。
論理の構造はこうだ。企業は労働者を搾取している。政治エリートは法を無視している。だから、一般市民も「構造的不正義」を盾にルールを選択的に無視できる——。この論法は2020年の著作『略奪の擁護』(ヴィッキー・オスターウィル著)にも見られたが、今回はより主流のメディアプラットフォームで、より著名な論者たちによって語られている点が異なる。
アメリカでは、医療保険制度への不満、格差の拡大、エリートへの不信感が積み重なっている。CEOが殺害された事件への一部の「英雄視」は、その怒りの噴出点として機能した。トレンティーノとピカーの発言は、その感情に知識人的な語彙を与えようとする試みとも読める。
多様な視点——誰がどう見るか
批判側から見れば、この会話の問題は「道徳的相対主義」の危険な傾斜にある。「構造的不正義があれば個人の犯罪は許される」という論理は、歯止めを失えば際限なく拡張できる。実際、会話はレモンの万引きから始まり、パイプライン爆破の容認、そして殺人への共感へと滑らかに流れていった。
一方、擁護側は言う。この会話は、法が平等に適用されていないという現実への怒りを代弁している。富裕層や大企業が法の抜け穴を使い続ける社会で、「ルールを守れ」と言うことは、現状維持の擁護に過ぎないのではないか、と。
メディア論の観点からは、別の問いが生まれる。300万人のフォロワーを持つピカーや、著名な文化批評家であるトレンティーノが、こうした発言を「軽いトーン」で行うことの影響力は計り知れない。インフルエンサーが道徳哲学を語るとき、その言葉はどこまで「冗談」として受け取られ、どこから「規範」として内面化されるのか。
日本社会への示唆
日本では、この種の「構造的不正義を理由にした個人的逸脱の正当化」という論法は、まだ主流の言説にはなっていない。日本社会は「迷惑をかけない」という規範を強く内面化しており、万引きや破壊行為を「クール」と表現する文化的土壌は薄い。
しかし、それは日本に格差や不満がないからではない。非正規雇用の拡大、実質賃金の停滞、大企業優遇の税制——日本にも「エリートはルールを守っていない」という感覚は確実に存在する。その怒りが、日本ではどのような形で表出しているのか、あるいはまだ表出していないのか、を考えることは重要だ。
さらに、ニコニコ動画やYouTubeで育った日本の若い世代が、海外のインフルエンサーから「海賊版は正当だ」「大企業から盗むのはかっこいい」というメッセージを受け取り続けるとき、その影響は無視できない。文化的な輸入は、しばしば文脈を失って伝わる。
本コンテンツはAIが原文記事を基に要約・分析したものです。正確性に努めていますが、誤りがある可能性があります。原文の確認をお勧めします。
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