マギー・ギレンホール監督『The Bride!』が示すハリウッドの「全部入り」映画の限界
野心的すぎる映画『The Bride!』から見える、現代ハリウッドが抱える「何でも詰め込む」症候群の問題点を分析します。
2010年代はヴァンパイア映画、その前の10年間はゾンビ映画が席巻しました。そして今、スクリーンを支配しているのはフランケンシュタイン映画です。ゼルダ・ウィリアムズの『Lisa Frankenstein』、ヨルゴス・ランティモスの『Poor Things』、そして9部門でオスカーにノミネートされたギレルモ・デル・トロ版まで、それぞれが独自の解釈を加えています。
この流れに加わったのが、マギー・ギレンホール監督の『The Bride!』です。1931年の古典『フランケンシュタイン』の続編である『フランケンシュタインの花嫁』を現代的に再話した作品ですが、果たして成功したのでしょうか。
全ジャンル詰め込み症候群
『The Bride!』は驚くほど多様な要素を含んでいます。フレッド・アステア風のミュージカル、ギャング映画、フェミニズム革命、そして大量の暴力シーンまで。ジェシー・バックリー演じるアイダは、1930年代シカゴのギャングの女として登場し、牡蠣を食べた瞬間にメアリー・シェリーに憑依されるという奇想天外な展開から物語が始まります。
殺害された後、クリスチャン・ベール演じるフランケンシュタインの怪物とアネット・ベニング演じる狂科学者によって蘇生されたアイダ。彼女はギャングの俗語とシェリーの優雅な英語を行き来する、まさに「ポストモダンな文学的ゴラム」と化します。
日本の映画製作との対比
興味深いのは、この「全部入り」アプローチが日本の映画製作とは対照的であることです。日本映画は伝統的に、一つのテーマや感情を深く掘り下げることを重視してきました。黒澤明から是枝裕和まで、日本の監督たちは「引き算の美学」を大切にしています。
ハリウッドの大予算映画が「足し算」で観客を圧倒しようとする一方、日本映画は「何を描かないか」にこそ芸術性を見出してきました。『The Bride!』のような作品は、この文化的差異を浮き彫りにします。
野心と混乱の境界線
ギレンホール監督の前作『The Lost Daughter』は、静謐で不安な心理スリラーとして高く評価されました。しかし『The Bride!』では、その繊細さは影を潜め、代わりに「とにかく全部やってみよう」という野心が前面に出ています。
ワーナー・ブラザースの最近のパッション・プロジェクト群(『Sinners』『One Battle After Another』『Wuthering Heights』)と同様、大胆な監督に大規模な予算を与えた結果です。しかし、規模の大きさに監督自身が迷子になってしまったようです。
日本の観客はどう見るか
この種の「何でも詰め込み」映画に対して、日本の観客はどう反応するでしょうか。日本では「器用貧乏」という言葉があるように、多くのことを中途半端にやるより、一つのことを極めることが美徳とされています。
『The Bride!』の散漫な構成は、日本の映画ファンには理解しがたいかもしれません。特に、物語の論理的整合性を重視する日本の観客にとって、「気にするな!」という作品の姿勢は受け入れ難いものでしょう。
記者
関連記事
アン・ハサウェイとミカエラ・コエル主演の映画『マザー・メアリー』が問いかける、超大型スターダムの光と影。名声とは才能か、それとも他者を消費する力なのか。
ゼンデイヤとロバート・パティンソン主演の映画『The Drama』が問いかける——結婚とは、相手の過去すべてを受け入れることなのか。監督クリストファー・ボルグリが仕掛ける心理的挑発を読み解く。
映画『One Battle After Another』や小説『I Hope You Find What You're Looking For』など、元過激派の「その後」を描く物語が現代の観客を引きつける理由を探る。理想と現実、親であることと信念の間で揺れる人間の姿が、私たちに問いかけるものとは。
ライアン・ゴズリング主演のSF大作『プロジェクト・ヘイル・メアリー』が問いかける——国際協力と楽観主義は、本当に世界を救えるのか。映画と現実の間にある距離を考える。
意見
この記事についてあなたの考えを共有してください
ログインして会話に参加