核なき世界は「幸運」で保たれてきた
NPT再検討会議が2026年4月に開幕。核軍縮の停滞、信頼の崩壊、そして「核タブー」の侵食が進む今、国際社会はどこへ向かうのか。広島の記憶と現実の乖離を問う。
80年間、核兵器は二度と戦場で使われていない。だが、それは人類の理性の勝利だったのか、それとも単なる幸運だったのか。
広島の平和記念公園に立つと、ある問いが頭から離れなくなる。石段に永遠に刻まれた人の影、皮膚が剥がれ落ちた女性と子どもたちの姿——これらの記憶は、個人の体験を超えて人類共通の遺産となっている。しかし今、その記憶が薄れつつある時代に、核をめぐる国際秩序は静かに、しかし確実に揺らいでいる。
2026年4月17日、第11回核不拡散条約(NPT)再検討会議がニューヨークで開幕した。この会議の議長を務めるのは、ベトナム出身の外交官だ。戦争と破壊の記憶を個人的に受け継ぐ国から来た人物が、核秩序の番人を務めるという事実には、深い象徴性がある。
「核タブー」が静かに崩れていく
NPTは1970年に発効した。冷戦の絶頂期、米ソが核軍拡競争を繰り広げていた時代に生まれたこの条約は、核兵器の拡散防止、核軍縮の推進、そして原子力の平和利用という三本柱を掲げてきた。半世紀以上にわたり、国際核秩序の礎として機能してきた。
だが、現実は条約の精神から遠ざかりつつある。NPTが認める5つの核保有国——アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス——はすべて、現在進行形で核兵器の近代化と増強を進めているとされる。これは数十年ぶりのことだ。さらに2026年2月には、米ロ間の核軍縮条約である新START条約が失効し、相互査察と検証の仕組みが途絶えた。透明性と予測可能性という信頼の基盤が、静かに消えた。
問題はそれだけではない。かつては「極端なシナリオ」として機密の戦争計画の中にのみ存在していた核兵器の戦場使用という概念が、今や一部の国の安全保障言説の中で堂々と語られるようになっている。「核タブー」——核兵器を使ってはならないという国際規範——の侵食は、数字では測れないが、確実に進行している。
議長が指摘するように、これは逆説的な恐怖の転換だ。核兵器の破壊力への恐怖が、核兵器を持たないことへの恐怖に取って代わられつつある。「抑止の傘」の下に入るか、独自に核を持つか——そうした選択肢を真剣に検討する国が増えている現実は、NPT体制の根幹を揺るがしている。
「失敗の正常化」は許されない
NPT再検討会議は5年ごとに開催される。しかし2015年以来、二度連続でコンセンサス文書の採択に失敗している。今回、三度目の失敗となれば、条約そのものの正統性と信頼性が問われることになる。
非核保有国の不満は根深い。核保有国は軍縮の義務を果たさないまま、非保有国には不拡散の義務を厳格に求める——この非対称性への怒りは、長年くすぶり続けてきた。「国際法は弱者にのみ適用される」という冷笑的な見方が広がる中、多国間外交の場への信頼も揺らいでいる。
議長はそれでも、現実的な前進の可能性を信じる。核戦争回避のための信頼醸成措置、透明性の向上、原子力の平和利用の推進——これらは、すべての政治的対立が解決されなくても、取り組める課題だと指摘する。劇的な突破口ではなく、地道な外交の積み重ねこそが、唯一破滅を避ける道だという主張だ。
日本にとって、この会議は特別な意味を持つ。広島と長崎という唯一の核被爆国として、日本はNPT体制の道義的支柱であり続けてきた。しかし近年、北朝鮮の核・ミサイル開発の加速や、中国の核戦力増強を背景に、「日本も核抑止力を持つべきか」という議論が国内で静かに浮上している。アメリカの「拡大抑止」への依存が揺らぐ中、この問いはより切実さを増している。
被爆の記憶を持つ国が、核抑止の論理に引き寄せられていく——この矛盾を、日本社会はどう受け止めるべきか。
記者
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