17歳の少女に注射した医師は、今も後悔していない
オランダで精神疾患を理由とした安楽死が急増している。2024年には30歳未満の30人が精神的苦痛を理由に命を絶った。日本が超高齢社会の中で「死の権利」を議論し始める前に、知っておくべきことがある。
2023年10月2日、メノ・オーステルホフ医師は17歳の少女の子ども部屋に入り、致死薬を注射した。少女は棺に着ていくイブニングドレスと、ネイルを整えた手を持って逝った。医師は葬儀でスピーチをした。
これは犯罪ではない。オランダでは完全に合法の行為だ。
「精神的に末期」という診断
オランダは2002年に安楽死を合法化した世界で最初の国のひとつだ。法律が認める条件は、「自発的かつ熟慮された」要請、「耐えられない」苦痛、「改善の見込みがない」こと、そして「合理的な代替手段がない」こと——これらすべてが揃えば、医師は患者の命を終わらせることができる。身体疾患に限らない。精神疾患も対象だ。12歳から親の同意があれば申請できる。
オーステルホフは小児・青年精神科の専門医として、この制度を積極的に活用してきた。SNSやテレビ出演、著書『逝かせてくれ』を通じた啓発活動を経て、2023年から2024年の13か月間で12人の精神科患者に致死注射を行った。最年少は16歳と17歳——精神疾患を理由に合法的に安楽死した世界初の未成年者だ。
彼が最初に安楽死を行ったのは2022年10月。OCD(強迫性障害)、摂食障害、自閉症を抱えた18歳の女性だった。「彼女は精神的に末期だった」とオーステルホフは言う。身体的な致死疾患はなかった。しかし彼は、彼女の苦しみが続くことと、介助なき自殺の可能性を天秤にかけ、安楽死を選んだ。
数字は静かに、しかし確実に動いている。精神疾患のみを理由とした安楽死は、2020年の88件から2024年には219件へと増加した。この5年間で675人が精神科的理由で命を終えた——これは過去18年間の合計を上回る。2024年だけで、15歳から29歳の30人が心理的苦痛を理由に安楽死した。これはその年齢層の全死亡者の3.1%に相当する。
なぜ今、この問題が重要なのか
オーステルホフの話は、一人の医師の物語ではない。これは、「苦痛からの解放」という価値観が、どこまで制度として拡張できるかという問いだ。
オランダの経験が示すのは、安楽死の「滑り坂」という比喩よりも、「暴走列車」の方が正確かもしれないということだ。制度は設計者の想定を超えて動く。オーステルホフが安楽死を行った12人のケースは、いずれもオランダの「地域安楽死審査委員会(RTE)」の事後審査を通過している。2002年から2024年の間に行われた110,591件の安楽死のうち、RTEが問題ありと判断したのはわずか144件。そのうち起訴に至ったのは1件だけだ。
これは制度が機能していることを意味するのか、それとも制度が機能不全に陥っていることを意味するのか。
精神科医のヒム・ファン・オス(ユトレヒト大学医療センター神経科学部長)は言う。「25歳の死を望む人と、80歳で余命2週間の人の死を同列に扱うことは、論理的ではない」。彼を含む87人のオランダの精神科医と医療専門家、および46人の海外の同僚が、現行の慣行が「精神科患者が不必要に安楽死で死亡するリスクを不可避的に伴う」と警告する公開書簡に署名した。
懸念はさらに具体的だ。精神疾患の診断と予後は、身体疾患に比べて本質的に不確実性が高い。死を望む気持ち自体が、疾患の症状である可能性がある。脳がまだ発達途上にある若者が、ピアや権威者の影響を受けやすい状態で下す「自律的な意思」を、どこまで尊重すべきか。
さらに注目すべきデータがある。精神疾患を理由とした安楽死が若者の間で増加した2020年から2024年の間、オランダの10歳から30歳の自殺率も21世紀最高水準に達した——男性で10万人あたり8.8人、女性で4.7人。安楽死が自殺の代替になるというオーステルホフの主張を支持する科学的根拠は、現時点では乏しい。
ジェンダーの問題もある。オランダでは女性の自殺未遂は男性の2倍だが、致死率は半分だ——女性は致死率の低い手段を選ぶ傾向があるからだ。安楽死という確実な方法が利用可能になることで、自殺念慮を持つ女性・少女が実際に死亡する確率が上がる。2024年に精神科的理由で安楽死した30歳未満の30人のうち、25人が女性だった。
日本社会への問いかけ
日本はこの問題と無縁ではない。
日本は世界有数の高齢化社会であり、終末期医療のあり方は長年の課題だ。しかし精神疾患を理由とした安楽死の議論は、日本ではほとんど行われていない。現行の日本の法律では、医師による積極的安楽死は認められておらず、尊厳死(治療中止)の法的整備も途上にある。
だが、オランダの経験は日本にとって「他国の話」ではない。超高齢社会における医療費の増大、精神科医療へのアクセス不足、若者の自殺率の高さ——これらは日本が直面している課題でもある。制度がなければ問題は存在しないのではなく、制度がないまま問題だけが積み重なっていく。
オランダで今起きていることは、「死の権利」を認めた社会が、その権利の境界線をどう引くかという問題だ。オーステルホフ自身も認める。「一人の患者にとって良いことが、社会全体にとって悪いことになりうる——これは非常に難しい問題だ」。しかし彼はこう続けた。「公共政策は私の仕事ではない」。
その言葉が示すのは、制度設計の空白だ。個々の医師の良心と判断に委ねられた制度は、どこまで社会的な責任を担えるのか。
ミロウ・フェルホーフの母親は言う。「娘の苦しみを理解し、自律性を尊重してくれた」と。一方、14人の精神科医たちは、ミロウが「急性の苦痛の状況において、自らの生存権を適切に守るための意思決定能力を十分に持っていなかった可能性がある」と指摘した。
同じ少女の死を巡る、この二つの解釈の間に、答えはまだない。
記者
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