SNSは暴力を止められるか?5000件の投稿が示す真実
シリア内戦とカナダ先住民問題。2つの全く異なる文脈で行われたSNS activism研究が、デジタル時代の「記憶」と「防止」の可能性と限界を明らかにした。
ハッシュタグひとつで、世界は変わるのだろうか。
2012年から2024年にかけて収集された4,997件のSNS投稿を分析した研究が、この問いに対して慎重ながらも示唆に富む答えを示している。研究者たちが選んだ比較対象は、一見まったく異なる2つの文脈——シリア内戦と、カナダにおける先住民への歴史的不正義——だった。
「炎上装置」か「記録媒体」か
SNSが暴力を煽るという批判は根強い。ミャンマー、エチオピア、スリランカでは、オンライン上のヘイトスピーチや偽情報が実際の暴力に加担したとして国際的な批判を浴びた。SNSを「危険なもの」と見なす視点は、決して根拠がないわけではない。
しかし、アーカンソー大学リトルロック校の研究者 Eric Wiebelhaus-Brahm と Arnaud Kurze が率いるチームは、まったく逆の機能にも光を当てた。シリアでは、#SaveSyria などのハッシュタグが内戦中の残虐行為を記録し、人道支援を動員し、国際社会に訴えかける「現在進行形の防止ツール」として機能した。投稿に頻出したのは「救出」「子どもたち」「支援」「生き延びる」といった言葉だった。暴力を煽るのではなく、暴力を止めようとする言語がSNS空間を占めていたのだ。
カナダでは様相が異なる。#TruthAndReconciliation(真実と和解)、#EveryChildMatters(すべての子どもが大切)、#MMIWG(行方不明・殺害された先住民女性と少女)といったキャンペーンは、過去の暴力が「終わった後」に機能する「下流の防止」ツールとして位置づけられる。歴史的な不正義を可視化し続けることで、将来の暴力を防ぐ——国連が長期的防止戦略として強調するアプローチだ。
エンゲージメントは「危機」の時にしか続かない
だが、研究が明らかにしたのは可能性だけではない。
SNS上の関与は、持続しない。シリアでは人道的危機が最も深刻な時期に投稿数が急増し、カナダでは2021年に連邦政府が正式認定した「真実と和解のための国民の日」など、社会的に重要なタイミングに集中する。つまり、ハッシュタグは「道徳的ショック」と「政治的ショック」によって動かされており、日常的な関与の基盤は薄い。
アルゴリズムの問題も見逃せない。プラットフォームは感情的な強度の高いコンテンツを優遇し、持続的な議論よりも瞬発的な怒りを増幅する設計になっている。これは「証拠の耐久性」と「熟議の継続」を妨げる構造的な問題だ。
さらに深刻なのは、デジタルアーカイブの不安定さだ。プラットフォームがモデレーション方針を変更したり、サービスを終了したりすれば、記録された証拠は消える。歴史的記憶の保存を「公的機関」ではなく「民間企業」が事実上担っているという現実は、日本にとっても他人事ではない。
日本社会との接点
この研究は、日本の文脈でも考えさせられる問いを提起する。
日本では、関東大震災における朝鮮人虐殺や、沖縄の基地問題、アイヌ民族への歴史的処遇など、「過去の不正義」をめぐるデジタル上の議論が断続的に起きている。しかし、それらの議論は国際的なハッシュタグ運動と比べて、どれほど「集合的記憶」として機能しているだろうか。
X(旧Twitter)、Instagram、TikTok といったプラットフォームの多くは米国企業が運営しており、アルゴリズムの設計も英語圏の文化的文脈に最適化されている。日本語のハッシュタグ運動が「どのように可視化され、どのように消えていくか」は、日本独自の研究が必要な領域だ。
また、次世代の問題もある。若い世代が歴史的暴力に初めて触れるのが、教科書ではなくSNSのタイムラインである——という現実は、日本でもすでに始まっている。それが共感と理解を育むのか、あるいは断片化された感情的反応を生むだけなのか、まだ誰も確かな答えを持っていない。
記者
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