EU・中国の経済冷戦、新兵器「FSR」が地政学リスクの最前線に

EUの外国補助金規則（FSR）調査に対し中国が猛反発。これは単なる貿易摩擦ではなく、地政学的リスクの新局面です。グローバル企業への影響と今後の展望を分析します。

なぜ今、このニュースが重要なのか

中国商務省が、欧州連合（EU）による中国企業への外国補助金規則（FSR）に基づく調査に強く反発しました。これは単なる貿易摩擦の一幕ではありません。EUが経済安全保障の「新兵器」を本格的に行使し始めたことを示し、米中対立とは異なる、欧州独自の対中戦略が新たな局面に入ったことを意味します。グローバル企業は、地政学リスクの新たな震源地として、この動向を注視する必要があります。

要点

対立の質の変化: 従来の関税競争から、EUの「外国補助金規則（FSR）」という新たな規制ツールを用いた精密な経済的圧力へと対立の質が変化しています。
EUの戦略的自律: FSRの行使は、EUが米国の対中政策に追随するだけでなく、独自のルールに基づき経済圏の公正な競争環境を守るという「戦略的自律」を明確に示した動きです。
ターゲットは戦略的分野: 調査対象は、太陽光パネル、風力タービン、鉄道、医療機器など、中国が国家戦略として育成し、欧州市場で影響力を増しているグリーン・テクノロジーやインフラ分野に集中しています。
グローバルサプライチェーンへの警鐘: この動きは、中国を拠点とする、あるいは中国から補助金を受けるグローバル企業にとって、欧州市場での事業展開に予測不能なリスクをもたらします。

詳細解説: 規制という名の「新兵器」

背景: FSRとは何か

外国補助金規則（FSR: Foreign Subsidies Regulation）は、2023年7月から本格適用されたEUの新しい規則です。EU域外の政府から補助金を受けた企業が、EU域内の市場（単一市場）の公正な競争を歪めることを防ぐのが目的です。具体的には、一定規模以上の企業買収（M&A）や公共入札に参加する際、過去3年間に受けた外国政府からの補助金の申告を義務付け、欧州委員会が必要と判断すれば詳細な調査を開始できます。これは、特に中国の国家資本主義モデルを念頭に置いた制度設計と言えます。

各国の視点

中国の主張: 中国商務省は、FSRに基づく調査を「保護主義的な行為」であり、「明確な標的を定めた差別的な意図」があると非難しています。中国側から見れば、これは自国企業の技術的・経済的成功を不当に妨害し、グローバル市場から締め出そうとする試みに映ります。公正な競争ではなく、地政学的な意図に基づいた政治的ツールだと捉えているのです。

EUの論理: 一方、EUは「公正な競争条件（Level Playing Field）の確保」を大義名分としています。EU域内の企業は厳しい国家補助（State Aid）ルールに縛られているのに対し、中国企業は政府からの巨額の補助金を背景に、不当に安い価格で製品やサービスを提供し、市場を席巻していると主張。FSRは、その「歪み」を是正し、EUの産業基盤、特にグリーン・ディールやデジタル化といった戦略的分野を守るための防御的措置であると位置づけています。

PRISM Insight: 「地政学的デューデリジェンス」が必須の時代へ

今回の事態が投資家や企業経営者に突きつける最も重要な示唆は、「サプライチェーンの地政学的デューデリジェンスが、財務デューデリジェンスと同等、あるいはそれ以上に重要になった」という事実です。これまでグローバル企業は、コストと効率性を最優先にサプライチェーンを構築してきました。しかし、米国の対中半導体規制や今回のEUのFSRのように、主要経済圏が次々と経済安全保障を名目とした規制ツールを導入する現在、その前提は崩壊しました。

今後は、自社のサプライチェーンや投資先が、どの国のどのような補助金や支援を受けているかを精密に把握し、それが欧米の新たな規制に抵触するリスクを評価することが不可欠になります。これは単なるコンプライアンスの問題ではなく、事業継続性を左右する経営戦略そのものです。「China+1」のような生産拠点の多様化だけでなく、資本関係や技術提携に至るまで、地政学的な脆弱性を洗い出し、シナリオプランニングを行うことが求められます。

今後の展望

短期的には、EUによるFSR調査はさらに拡大する可能性が高いでしょう。特に、電気自動車（EV）やバッテリーなど、競争が激化している分野が次のターゲットになる可能性があります。これに対し、中国は報復措置として、EU企業に対する独占禁止法調査の強化や、重要鉱物資源の輸出規制などで対抗することが予想されます。

中長期的には、米・中・EUの三極がそれぞれ独自の規制や産業政策を強化し、世界の経済ブロック化が一層進むでしょう。企業は、どの経済圏で、どのルールに従って事業を行うのか、より難しい選択を迫られることになります。かつてのようなグローバル共通のルールに基づく自由貿易の時代は終わりを告げ、「規制のモザイク化」が進む世界で、いかに航海を続けるかが21世紀の企業の最大の課題となりそうです。