消費者AIはなぜ成功しないのか？「懐中電灯アプリ」の罠と、iPhone前夜の静かな胎動

なぜ「次のChatGPT」は生まれないのか？

生成AIのブームが始まって3年。多くの消費者がChatGPTのような汎用AIに触れましたが、それを超える革新的な消費者向け（B2C）AIアプリケーションで成功を収めたスタートアップは、いまだにほとんど現れていません。収益化の主戦場は依然として企業向け（B2B）です。この停滞の裏には、単なる技術的な課題だけでなく、より根深い構造的な問題が存在します。ベンチャーキャピタリストたちの分析は、私たちが今、モバイル革命における「2010年のiPhone前夜」のような、大きな変化の直前にいる可能性を示唆しています。

この記事の要点

• 多くの消費者向けAIアプリは、大手テック企業のプラットフォームに機能を吸収される「懐中電灯アプリ化」のリスクに直面しています。
• 現在のAI市場は、UberやAirbnbが誕生する直前の2009-2010年のモバイル市場に酷似しており、プラットフォームの「安定期」を待っている状態です。
• 真のブレークスルーには、スマートフォンを超える「アンビエント（環境に溶け込む）な新デバイス」の登場が必要になる可能性があります。
• 一方で、金融や教育など、高度にパーソナライズされた分野では、スマートフォン上でも革新的なサービスが生まれる潜在能力を秘めています。

解説：消費者AIが直面する2つの大きな壁

1. 「懐中電灯アプリ」のジレンマ

Goodwater Capitalの共同設立者であるチーファ・チェン氏は、現在の消費者向けAIアプリが陥っている状況を、かつてのiPhoneの「懐中電灯アプリ」に例えます。iPhone登場初期、懐中電灯は人気のサードパーティ製アプリでしたが、やがてアップル自身がその機能をOSに標準搭載したことで、単体のアプリとしての価値は消滅しました。

同様に、初期のAIによる動画・音声・写真編集アプリは非常に革新的でしたが、OpenAIのSoraのような高性能モデルやオープンソースモデルが登場すると、小規模なスタートアップが提供していた価値は瞬く間に陳腐化してしまいました。これは、強力なプラットフォーム（この場合は大規模言語モデルや基盤モデル）を持つ企業が、周辺のアプリケーションの機能を吸収してしまう「プラットフォーム化の宿命」とも言える現象です。

2. スマートフォンという「限界」

Scribble Venturesの創業者エリザベス・ワイル氏は、現在の消費者向けAIアプリを「気まずいティーンエイジャーの中間地点」と表現します。この停滞を打ち破る鍵は、私たちが日常的に使うデバイスそのものにあるかもしれません。

チェン氏は、「1日に500回手に取るが、あなたが見ているものの3%から5%しか見ていないデバイス（スマートフォン）が、AIの能力を最大限に引き出すユースケースを生み出すとは考えにくい」と指摘します。AIの真価は、私たちの状況や環境を常に理解し、先回りしてサポートする「アンビエント・コンピューティング」によって発揮されます。しかし、ポケットから取り出して操作する必要があるスマートフォンは、本質的にアンビエントではありません。

この課題を解決するため、OpenAIとジョニー・アイブが開発中と噂されるスクリーンレスデバイスや、Metaのスマートグラス、あるいはAIピンのような新しい形態のデバイス開発競争が激化しているのです。

PRISM Insight：投資家と起業家が取るべき2つの戦略

この「待ち」の時代において、消費者向けAI分野で成功を目指すプレイヤーは、どのような戦略を取るべきでしょうか。PRISMは2つの異なるアプローチがあると考えます。

戦略1：プラットフォームの「隙間」を狙う

大手テック企業と正面から競合するのではなく、彼らのプラットフォームの上で成り立つ、ニッチで専門性の高いサービスを構築する戦略です。チェン氏が挙げる「パーソナルAI金融アドバイザー」や、ワイル氏が予測する「常時接続のAI家庭教師」などがその好例です。

これらの分野は、個人の財務状況や学習進捗といった機微な情報を深く理解し、高度にパーソナライズされた価値を提供する必要があります。これは、汎用的な機能としてプラットフォームに簡単に吸収されにくい「深い」領域であり、スタートアップにとっての勝機となります。重要なのは、単なる機能ではなく、信頼と専門性に基づいた「関係性」をAIで構築することです。

戦略2：「ポスト・スマホ」のパラダイムに賭ける

もう一つは、スマートフォンという現在のパラダイムそのものを超える、全く新しいユーザー体験の創出に賭けるハイリスク・ハイリターンな戦略です。AIピンなどの試みが苦戦していることからも分かるように、これは非常に困難な道です。

しかし、もし成功すれば、次世代のプラットフォームとエコシステムを定義する存在、すなわち「次のiPhone」を生み出す可能性があります。投資家や起業家は、単にデバイスのハードウェアだけでなく、それがどのような新しい行動や文化を生み出すかという視点で、この領域を注視する必要があります。

今後の展望：AI版「Uber」はいつ、どこから生まれるか

専門家たちの見解を総合すると、消費者向けAI市場は大きな飛躍に向けた助走期間にあると言えます。短期的にはB2B分野が市場を牽引し続けるでしょう。

しかし、基盤モデルの性能が安定し、開発環境が整いつつある今、まさにモバイル革命における2009年から2010年のような状況が生まれつつあります。プラットフォームが安定した後に、その能力を最大限に活用したUberやAirbnbのようなゲームチェンジャーが登場したように、AIの世界でも同様のことが起こる可能性は高いです。

そのブレークスルーが、高度に専門化されたスマートフォンアプリから生まれるのか、あるいは全く新しいデバイスから生まれるのか。それが、今後数年間のテクノロジー業界における最大の焦点となるでしょう。