EV大国の光と影：中国で急増する「寿命切れバッテリー」が引き起こす静かなる危機

2025年8月、北京在住のワン・レイさん（39歳）は、2016年に購入した愛用の電気自動車（EV）との別れを決意しました。当時、EVはまだ実験的な乗り物で、手厚い補助金と「国産イノベーションを支援しよう」という販売員の言葉に後押しされての購入でした。しかし9年が経過し、バッテリーの劣化で航続距離は目に見えて短くなっていました。

バッテリー交換も考えましたが、保証期間は切れ、そのコストと手間は見合わないと感じたのです。そんな折、動画アプリ「抖音（Douyin）」で地元のバッテリーリサイクル業者の広告を目にしたことが、彼の背中を押しました。数社に見積もりを取り、最も高値を提示した郊外の小さな業者に連絡。翌日には車が引き取られ、8,000元が振り込まれました。中国政府の廃車補助金を合わせると、最終的に彼の手元には約28,000元が残ったといいます。

ワンさんの経験は、中国が今まさに直面している大きなトレンドの縮図です。過去10年、政府の強力な後押しで中国のEV市場は爆発的に成長し、2025年後半には新車販売の約60%をEVとプラグインハイブリッド車が占めるまでになりました。しかし、その裏側で、初期に普及したEVのバッテリーが一斉に寿命を迎え始めており、その処理が国家的な課題として浮上しているのです。

この「使用済みバッテリーの津波」は、まだ発展途上にある中国のバッテリーリサイクル産業に大きな負荷をかけています。その結果、安全基準や環境基準を無視した「闇市場（グレーマーケット）」が横行するという問題も生じています。MIT Technology Reviewの取材に応じた複数の専門家によると、バッテリー容量が新品時の80%を下回ると、交換時期と見なされるのが一般的です。調査機関EVtankの推計では、中国国内で年間（2025年）に発生する使用済みEVバッテリーの総量は82万トンに達し、2030年までには100万トンの大台に乗ると予測されています。

公式なリサイクルプロセスは、主に2つに分けられます。一つは、まだ使えるバッテリーをエネルギー貯蔵システムや低速車向けに再利用する「カスケード利用」。もう一つは、バッテリーを分解し、リチウム、ニッケル、コバルトといった希少金属を回収して新しいバッテリーの原料にする「マテリアルリサイクル」です。しかし、これらの正規プロセスは、環境保護や安全対策に多額の初期投資を必要とします。

一方で、非正規の小規模な業者は、これらのコストを無視することで、消費者により高い買取価格を提示できます。元非正規業者作業員のゲイリー・リン氏は、「バッテリーをこじ開け、使えるセルを組み合わせて再販する。時には『新品』と偽ることさえある」と証言します。古すぎるバッテリーは単純に粉砕し、金属抽出業者に重量単位で売り払うため、有害な廃液が下水に垂れ流されることも日常茶飯事だったと彼は語ります。

こうした状況に対し、中国政府も手をこまねいているわけではありません。2018年以降、工業情報化部は優良な正規リサイクル業者156社を「ホワイトリスト」に認定するなど、健全なエコシステムの構築を急いでいます。また、世界最大のバッテリーメーカーCATLや自動車大手のBYD、吉利（Geely）といった企業も、自社で回収ネットワークを構築し、資源の「クローズドループ（閉鎖循環）」を目指す動きを加速させています。CATLの子会社「Brunp」は、年間約27万トンの廃棄バッテリー処理能力と99%以上の金属回収率を誇ります。

しかし、問題は根深く残ります。過去5年間で400以上の新興EVブランドが価格競争の末に倒産しており、こうした「親を失った」EVのバッテリーは公式な回収ルートに乗りにくいのが現状です。中国が真のEV先進国であり続けるためには、使用済みバッテリーを大規模に追跡し、再利用・リサイクルできる包括的なシステムの構築が急務となっています。

PRISM Insight: 中国で顕在化するEVバッテリーの大量廃棄問題は、失敗の証ではなく、むしろ急成長の成功がもたらした必然的な帰結です。この課題は循環型経済の真価を問う試金石であり、中国が構築する大規模なリサイクルシステムは、やがて同じ問題に直面するであろう世界各国にとっての「設計図」あるいは「警告」となるでしょう。これは単なる廃棄物処理問題ではなく、EV時代の資源主権をめぐる競争でもあるのです。